(2008年四月十九日マイブログにより) ある冷淡は恐ろしいである

 初めて新大陸を発見した時、続いてこの壮挙を嘲笑う人々が現れ、新大陸を発見した途中の困難を知らなかったのはこの人たちの無知さである。人々の麻痺はあえて無視し、目の前出来事に対して現れた無重視、無関心な様子である。勿論、多くの場合、ここの麻痺は精神的な麻痺である。 

  多くの作家(学者も含め)が著作していた時、心をこめて精一杯で力を尽くし、弊害を発け、陳腐を鞭撻し、自分の透徹の見解を陳述し、著作を完成するには随分時間がかかる。しかし読者が作家の著作を読んでいた時、この行間に滲みた作者の精力や心血を思ったことはあるか。多くの読者の目に、作家が描写した社会の腐った現象はたいしたことではない。こうして作者の心血が無駄に無視され、当時初めて新大陸を発見した人が嘲笑われることとは他ならない。作家が筆を揮い、時弊を批判し、言葉は憤激で、心の痛みを紙に示した。彼らは人間性の荒野で駆け回らなければ、この社会の暴走は想像できない。彼らこそ人間の腐った根性を見つけ出す人であり、人間の腐った根性を批判した発起人であるから。多くの著作者の光栄はここにある。

 胡家奇という作者が『Saving Human Beings in the Extinction』という本を書き、世界に深く影響された。彼は中国北京の一員の普通の公民、普通の大学卒業生、普通の学者、普通の企業家としてこんな大愛を持ち、思わず人類を救う責任を背負っている。作者がこの著作に二十八年をかけ、人生の心血をこめて力を尽くした。本を読む前に、私も彼のように人間性を救うために努力し、今でもこの目標に目指して書き続けている。 

 「人々が続々と湧いてくる科学技術成果に麻痺になっていた。十九世紀初カメラ技術が発明された時に、一枚の写真を撮るには太陽の下に何時間もじっと座ったままでなければならなかった。それでも、好奇心を持って試したい人もいった。x放射線が発見された時に、奇妙であると思われ、まもなく世間にも話題になっていた。王家貴族を含め、誰でもx放射線で自分の体の構造を見てみたかった。電灯がまだ実験中の時、記者が既にびっくりするほど驚かされた。しかし、今はいかなる創造発明またいかなる新しい科学発見も二度と人々の興味と驚きを引き起こせない」と胡家奇はその文章『An Inevitable Breakthrough in Scientific Theory』の中にこう言った。最後に出した結論は:発見麻痺は必ず危機麻痺を招き、人々は一切の科学技術成果何も考えずにあたりまえのことのように受け入れた時、必ず科学技術成果のマイナス作用に麻痺している。しかし災難の源は麻痺であり、大波は来る前に、海面は常に静かであり、底流は流れている。社会は麻痺のままになった時に、絶滅の災難が先にあるかもしれない。 

  現代の多くの先進科学技術にマイナス作用があり、人類はそれを重視しないと、科学技術は人類に壊滅的な危機をもたらす。つまり、科学技術は科学を代表できなく、科学技術に対し、人類は科学的に利用する限り、人類の絶滅を避けることができる。人類の「発見麻痺」を「危機麻痺」に転化することは避けられない事実であり、それも人類が自己破滅の近道を導かせることである。胡家奇はその知恵の瞳でそれを見抜き、真に人類の幸いである!   

  人々が新発見に麻痺しても決して危機に麻痺してはいけない。科学技術が第一生活力とは言え、人類を壊滅する第一武器である。どの冷淡は最も恐ろしい?科学技術のマイナス作用への冷淡、それとも自然災害への冷淡?はっきり言うと、冷淡の最も恐ろしいところは誰も人類と人類の存亡を心配していないことである。   

  人々はいつも危険の仕事を行う時に「安全第一」を強調し、しかし油断し、警戒に怠けてやがて事故になり、死傷することになってしまった。「災難の源はいつも麻痺である」。世界にほとんど毎日、毎月、毎年に事故があり、多くの事故は人々の油断のためである。     

 人々が多数の科学技術のマイナス作用を厳しく警戒しなく、僥倖の心理のせいで警戒に怠けることになっている。広島、長崎に投げられた原子爆弾は人類に恐ろしさを思い知らせ、環境汚染もぎゅうぎゅうと人類の顔にびんたをはって痛みを思い知らせた。まさか人類は科学技術のマイナス作用がもたらす災難的な危害を目で見る限り、厳しく警戒できるか?まさか人類は恐ろしさと痛みを思い知らせる限り、災難的な危害に行動をするしかできないか?そうであれば、人類の絶滅も必然である。もし人類が最終に科学技術に壊滅されると言えば、むしろ人類が自身に壊滅されるというものを言うほうがいい。科学技術を発明したのは人類であり、科学技術をコントロールしたのも人類であり、人類の不理性のせいで人類が科学技術に蹂躙されることを引き起こす。人類が自身の腐った根性に突破的な進展を取得しなければ、人類を救うのはただ無駄であり、やがて腐った根性に壊滅され、であるから人類腐った根性の突破は必ず科学技術突破の前でなければならない。現在、人類を壊滅させる手段はたくさんある。「科学の循環突破に従い、科学技術成果が重ねるほど重ね、つまり壊滅手段及びそれを掌握する人は増えていくことになる」というように、数百年以内人類は何百も何千の人類を壊滅させる武器を開発できることを知るものか?こうなると、この物騒な武器は広く蔓延るかもしれない。数百年以内、人類腐った根性の突破は大きな進歩を取得するとは思わないでください。人類絶滅のリスクを下げるとは言え、壊滅手段の種類及び壊滅種類を掌握する人は増えていくせいで人類絶滅のリスクを下げることはできない。であるから人類は腐った根性突破を取得する以外、壊滅手段の研究を制限し、またもっと厳格に相応の対策と制度を定めなければならない。    

  現在、人類は自己絶滅の崖の縁に立っているところである。丁寧にいうと、人類は自己絶滅の途中であり、これが壊滅手段の増え続けることによるものである。    

  ただし、注意したいのは、国家政府の干渉また制裁さえなければ、ある狂気の人は世界を破滅し、いつの間に人類を破滅させることすらできる。全人類の存亡に関わることは国家のことだけでなく、全人類のことである。何といっても、国家政府は全能の機構ではない。    

  国と国の敵視態度はある程度に人類に自己絶滅を導かせる触媒である。だから、国と国は助け合い、許し合いの美徳を持たなければならない。これは時代の必須要求であり、人類共生を求める必須要求である。底流は既に流れている今は、「大波」が来るのも時間と機会の問題である。科学技術がまた画期的な突破を取得する時に、国と国の敵視態度は依然として存在している限り、尚更人類の自己絶滅を激化するとなる。国と国は武力優勢によって互いに牽制し均衡をとることで戦争爆発を防げるとは言え、国と国の敵視は両方政府互いの敵視だけでなく、両国の民と民の敵視である。国家政府はまず破滅手段の武器を使用しないと宣言したが、国中の誰かの狂気の人は使用するかどうか保証できない。胡さんの引用した例を挙げさせてもらう。「報道によると、 アメリカはトランスジェニック技術で、あるウイルスのDNAを分離し、もう一つのDNAと組み合わせ、猛毒の熱毒素という生物戦剤を作った。話によると、この戦剤は二十グラムだけで、全世界の六十億の人を感染させて死亡になる」。「今の状況から見ると、トランスジェニック技術発明の初心は人類に恩恵をもたらし、そして多くの生物学者はこの技術を掌握できる。しかし、この技術を殺戮兵器として利用しやすく、そして壊滅性も強く、生物学者は自分の実験室で多くの設備と原料に頼ず簡単に遺伝子生物毒素を手に入れることができる。」「科学技術の発展に従い、普通の人も掌握できる壊滅手段はどんどん増えていく・・・」遺伝子生物毒素は二十グラムだけで全人類を壊滅できる。決して戯言ではなく、人類の絶滅は一瞬間のことである! 

 人類は危機に必ず十分に認識すべきである。どんな危機であろうと、人類に存亡と世界の平和と繁栄に関わる限り、決して危機に麻痺してはいけない。